キャリア&就職支援ジャーナル_第71号
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×7早春号2025*1シティアス近畿・中国・四国□躍進の電気工事事業etc.9九州・沖縄□昭和ドリームプロジェクトetc.11グローバル□イタリアリポートvol.112大会で躍動する生徒に熱視線静岡県立伊豆伊東高等学校商業高校フードグランプリ︱高校生ビジネスプラン・グランプリ ●INFORMATION71ityAS(本社・横浜市)を起業し、テレマーケティング事業を 株式会社C展開する森山愛代表取締役社長。高校卒業後は、当時アルバイトをしていた百貨店内の喫茶店に就職し、昇級試験に合格するなど順調なキャリアアップを目指していたが、「大きな挫折を経験」(本人)した。この経験が原動力となり、「やる気さえあれば、学歴や年齢など関係なく活躍できる」という構えに昇華し、会社経営につなげることができたと振り返る。進路選択に悩む高校生に向けて、励ましのメッセージを送っていただいた。板金業を営む埼玉県の家庭に生まれ、父が経営する会社を母が手伝う姿を間近で見て育ちました。両親の仕事の都合で引っ越しをすることが多く、「多分いま不況なのかな」と子どもながらに会社経営の難しさや厳しさを実感することが少なくありませんでした。環境が大きく変わったのは、東京に転居したあとに両親が離婚したタイミングです。母、兄、私の三人で暮らすことになりました。母に経済的な負担をかけたくないという気持ちが強く、高校時代は飲食店のアルバイトを二つかけ持ちしていました。幸いアルバイト先では優しい先輩のみなさんに恵まれ、社会人の基礎となる「いろは」を学ぶことができました。当時は手渡しでお給料をいただいていたため、お金をもらう大変さや楽しさを学ぶことができました。でも、当時は金銭的に余裕がなかったため、進学は全く考えず、就職を決意しました。高校を卒業して新卒入社したのは、百貨店内にある喫茶店です。それまでのアルバイト経験が接客態度に良い形で結びついたからなのか、当時の店長からは非株式会社CityAS株式会社CityAS『キャリア&就職支援ジャーナル[高等学校版]』は高校の先生方と民間企業・行政機関、および大学・短期大学・専門学校等を結びつけるフリーペーパーです。営業時間 12:00〜20:00(休憩1時間半)定 休 日 シフト制、週休2日制T E L 080-7140-3421U R L https://cityas.jbplt.jp/交  通 JR「新宿」駅より徒歩3分電話を使っPROFILEもりやま平成3年埼玉県生まれ。高等学校卒業後、百もりやま・あい・あい●●平成3年埼玉県生まれ。高等学校卒業後、百貨店内の喫茶店に就職。順調なキャリアアップが見込まれていたが、大学新卒者貨店内の喫茶店に就職。順調なキャリアアップが見込まれていたが、大学新卒者にポジションを奪われ入社2年で退職。フリーターとして転職を繰り返す。27歳にポジションを奪われ入社2年で退職。フリーターとして転職を繰り返す。27歳でウォーターサーバーの営業職として正社員となる。年齢や学歴を問わず昇進のでウォーターサーバーの営業職として正社員となる。年齢や学歴を問わず昇進の機会が平等にあるという風土の企業で営業のノウハウを学ぶ。会社全体が社員の機会が平等にあるという風土の企業で営業のノウハウを学ぶ。会社全体が社員の独立を後押しする環境の中で経験を積み、令和元年に株式会社CityASを企業し独立を後押しする環境の中で経験を積み、令和元年に株式会社CityASを企業して代表取締役社長に就任。現在は、テレマーケティング事業を展開している。て代表取締役社長に就任。現在は、テレマーケティング事業を展開している。常に気に入っていただけました。昇級試験にも合格し、2年目からは副店長を任せていただけるという話も出ていました。しかし翌年、大学の新規学卒社員にそのポジションを奪われてしまうという出来事がありました。店長は私を優先してくれましたが、背景には「高校新卒者よりも大学新卒者のほうが優位」という本社側の意向があったようです。とても残念で、精神的にくじけてしまいました。その後、私は本社に異動になりましたが、ちょうどその頃、専門学校に進学をした友人の姿がキラキラと輝いて見えていた時期がありました。気持ちが弱かったのでしょうね、入社して2年で会社を退職しました。次の就職先を見つけるのは、非常に厳しい道のりでした。その当時、いわゆる「就職氷河期だまだ残っており、最終学歴が高校卒業である若輩者を採用してくれる会社を見つけることが難しい状況でした。大学卒業者でなければ、応募すらできない求人が多かったのです。書類選考を通過しても面接で落とされてしまうことがほとんどで、フリーターとして転職を繰り返しました。この時期は多くの挫折を経験しました。アルバイトを重ねながら正社員としての就職先を探す中、27歳の時に見つけた会社との出合いが大きな転機になりました。年齢や学歴に関係なく昇進の機会を与えてくれるという会社で、「とりあえずはここで頑張ろう」という思いで入社しました。仕事内容は、企業相手にウォーターサーバーを販売する飛び込み営業です。もともと接客が好きで、人とコミュニケーションを取りながら仕事をやりたいと思っていたので、営業に対する抵抗感は全くありませんでした。最初の頃はメンタルを削られることもありましたが、それ以上に応援してくれるお客様が多かったことが嬉しかった。当時は20代でしたので、「そんなに若いのに、飛び込み営業なんて辛くない? 大丈夫?」と心配して声をかけてくださる方や、私が一人暮らしをしていることを知ると、「せめてお米だけでも炊い」の影響がまて、ごはんをしっかり食べて頑張ってね」と炊飯器をいただいたこともありました。嬉しく思いました。このようにお客様と良好な関係を築くことができていたのは、上司からのある教えを自分なりに大切にしていたからだと思います。それは、□去り際の感謝を忘れない姿勢□です。当時働いていた会社は、「飛び込み営業お断り」を掲げる会社にも果敢にアタックしていく方針でした。そのため、お客様から怒られることもしばしばありました。しかしそのような場合であっても、「最後は必ずありがとうと伝えて帰る」という上司からの教えを徹底して実践していました。すると、契約が取れない場合であっても、お客様とは良い関係で終えることができるようになりました。振り返ると、営業時代のそうした経験があるからこそ、いまやっていくことができているのだと思います。当時を思い出すと、「何が起きても全然やっていける!」と感じるくらいに、現在はやりやすい状況をつくることができています。このようして、営業のノウハウをイチから学んで経験を積み、入社1年後に会社を退職・独立しました。でも、入社当初は起業することは全く考えていませんでした。原点になったのは、学歴や年齢に関係なく、高校卒業者でも頑張れる環境があったことと、会社全体が社員の独立を後押ししていたことです。初めの会社で大学新卒者にポジションを取られてしまったことが苦い経験としてずっと残っていたため、年功序列なく自分で契約した分が収入になるという体制が大きなモチベーションに結びつきました。また、当時の社長が、「自分と同じように学歴がない若者を応援したい」と社員の起業を積極的に支援する方でした。そのため、周囲には独立していく先輩方が多くいらっしゃいました。そのような環境にいるうちに、次第に「自分にもできるのではないか」という思いが湧いてきました。起業に挑戦することを決め、平成30年にCityAS株式会社を設立しました。独立後しばらくは、前職の会社から紹介を受けて商品の営業をしていました。訪問販売やイベントブースを借りて販売を行っていたのですが、新型コロナ渦の影響を受け、対面での営業を継続することが難しくな   Career & Job-hunting-activities Times for High School teachers[通巻第66号]*1 就職氷河期日本のバブル経済崩壊後、不況によって企業の採用枠が大幅に縮小し、大規模な就職難が社会問題となった時期のこと。特に、平成5(1993)年頃から平成17(2005)年頃までを指し、平成11(1999)年には有効求人倍率が「0.48倍」という過去最低水準を記録した。長期的な景気の冷え込みを「氷河期」に例えている。高校の先生方との連携による紙面編集上司の評価が嬉しかった初職時代氷河期の影響で厳しい転職環境新型コロナ下で新たに開拓テレマーケティング事業転機となった営業職時代年功序列のない社風が糧に★「高企連携」News&Topics北海道□道内就業環境の現状etc.2北□奥会津の地域資源活用etc.3東関東・首都圏□コミュニティ・スクールetc.4東海・北陸□多様な志望進路への備えetc.8[発行]2/28□L's Scopeイベント*2 テレマーケティングて見込み顧客や潜在顧客に商品やサービスなどを販売する営業手法のこと。商品・サービスに関する広告やブログなどを見た顧客が企業に電話をかける「インバウンド」のほか、見込み顧客のリストなどに基づいて企業から顧客に電話をする「アウトバウンド」の2種類がある。6面に続くCOVER株式会社CityAS代表取締役社長起業を成功に導く「カギ」は失敗を恐れずに挑戦し続けることINTERVIEW森山愛氏キャリアキャリア高等学校版発行就職就職

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